パネルアートの世界
先日惠藤憲二さんが執心していた現代美術、モンドリアンのパネルアートというものが気になり始めてきたので、どこかでモンドリアンの作品特集でもやっていないのかと探して神田をふらふらしていたら、ようやく見つけました。現代美術の至宝、モンドリアンのパネルアート、と銘打たれていましたが、これをしっかりと理解するのはまだまだ時間がかかりそうです。
惠藤憲二さんも話していましたが、現代美術をちゃんと理解するのには、本当に膨大な時間がかかるそうです。惠藤憲二さんを初め、現代美術の評論家達が作者の心境をこと細かく指摘しているので、それを汲み取って理解する、というのは惠藤憲二さんでもまだまだ分からないことが多い、といっていました。
そんなことを言ってしまったら現代美術の一部を齧ったことある程度の私にしてみれば、一瞬のインパクトでしか現代美術を評価できないので、パネルアートのような抽象的な現代美術は惠藤憲二さんのように執心できないな、と自分の不勉強さを痛感しました。
そんな悲しい気持ちのまま現代美術の作品特集をぱらぱらと捲っていましたが、ふと惠藤憲二さんの家に飾られていたこれらのパネルアートを思い出して、こうやって本を眺めながら現代美術を見ているときと惠藤憲二さんの家で見たときの印象はだいぶ違うな、と感じました。
惠藤憲二さんの家で見たときは、最初に見た、ということも含まれますが、とても鮮烈な現代美術特有の衝撃がありましたが、こうやって神田で現代美術特集を眺めているときは特に衝撃を感じずに、なんとなく流してしまうな、とふと感じるようになりました。
たしか惠藤憲二さんが言っていましたが、現代美術は家具でなければならない、ということを思い出しました。そのときは惠藤憲二さんは何だか深いことを言っているな、と惠藤憲二さんの話を何となく煙に巻くように聞き流してしまいましたが、何となくですが今日はその惠藤憲二さんの言葉の意味が分かったような気がします。
もしかしたら惠藤憲二さんとは解釈がずれているかも知れませんが、今日は少しだけ現代美術について分かった気がした1日でした。